2014年3月24日月曜日

途中経過とリハ状況




毎週末にBLOGを更新するよう心掛けているのだが
昨日、おととい、と酷く疲れていて、更新できなかった。


 
ダイエットですが、

目標の「5kg減」達成いたしました。

後は、今週末のLIVEまで維持したいです。


 
昨日はCapaluaのリハーサルを、プライベートスタジオ「溜スタ」
(実はetsukoの実家、田舎なのでデカい音が出せる)で、行った。
 
酷く疲れていたので、どうもノラない、、、。
 
今回は新曲も多く、どのギターを使うかとか
音色とかチューニングとか、エフェクターとか
色々考え出すと、ドツボにハマって抜けられなくなる。


 
それからetsukoも今回のBLOGで言っていたが

どうやら、私は耳が良いらしい。

以前私のBLOGでもそのようなことを記載したが、確信が持てた。


 
先日、某健康番組で「耳」の特集をしていた。
その番組で、40歳代以上には普通聴こえない
「15,000Hz」の高音が私は、はっきり聴こえたんです。
(幼児にしか聴こえないという「16,000Hz」は流石に聴こえなかったが、、、。)

ギターを弾いていて、いつも、高音がかなり気になる。
私はハイがきつい音が嫌いです。
所謂「ドンシャリ」系の音は余り好きではないんです。

今回のLIVEではGIBSON のCHET ATKINSモデルを
久しぶりに使う予定で、
そのギターをエレキ風のサウンドで弾く試みをしていたのだが、
サウンドがなかなか決まらない。
挙句の果てにはいつもの悪い病気で
「きっとギターが悪いんだ、新しいギターを買えば解決する」と
自分の腕、センスのなさをギターの所為にする始末、、、。

買いませんよ、、、買ったりしたら、、、ねぇ、、、。
(怖くてこれ以上は書けません、、、、)



しかし、それにしても、耳が良いというのも、ある意味、困り物で
決して「耳が良い」=「良いミュージシャン」ではないということ。



「耳が良い」のと

「音感が良い」
「リズム感が良い」
「作詞、作曲能力がある」
「歌が上手い」

といった音楽の本質をつかさどる才能とは
全くの別物である。



意外と「音、音質を聞き分ける」という行為は
訓練次第で誰でも向上すると思う。
だから大してギターが上手くない中年(私もその一人)が
ギターを買い漁ったりするのだ。

「違いを感じて、満足する、欲求を満たす」
のは音楽の本質、あるいは、ギターを弾く本質
とは遠くかけ離れているのだ。



ギターが欲しくなると自分に言い聞かせてる(苦笑)。



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