6月29日(土)
先日93歳で他界した母方の祖母の四十九日法要のため車で静岡の沼津へ。
祖母とは10歳まで一緒に暮らしていたこともあり
私にとっての「故郷」は群馬ではなく静岡なんです。
久しぶりの沼津は道路が整備され
国道には全国チェーンのお店が並び
どの街にもあるような画一的な光景になってしまっていました。
しかし祖母の家とその周辺は祖母の家の前の田んぼに
民家が雨後の竹の子の如く生えていた(建っていた)以外は
私が住んでいた頃と余り変わらない長閑な光景。
目の前には「狩野川」 |
小3まで通った小学校と「鷲頭山」 |
雨後の家(失礼) |
幼少の頃からあった「柊木」 |
土手からは「富士山」が望める |
幼少の頃から見慣れた風景 |
目の前には「狩野川」と「鷲頭山」、山と越えれば「駿河湾」
やはり群馬とは空気感が違う。
川の匂い、山の匂い、そして山と越えて漂う「海」の気配。
いつの間にか、遠い記憶がおぼろげに蘇る。
祖母は物静かで余り怒られた記憶がないのだが
一番の思い出は
私が小学1年生の時
学校帰りに通学路にあり「お地蔵さん」におしっこをかけ
(悪ガキにもほどがある、、、)
それを夕飯の時に、自慢げに家族に話しました。
その話を聞いた祖母に
「お地蔵さんは、いつも、みんなのことを
守ってくれているのに、何て事するんだ」
とこっぴどく怒られ
祖母と二人でバケツとたわしを持って
お地蔵さんを洗いに行きました。
お地蔵さんに必死に謝ったなぁ、、、。
そしてその夜、
3歳からおねしょをしてなかった
私がおねしょをしてしまった。
という嘘のようなホントの話。
それを後日「お地蔵さんのバチ」をいう
題名で作文にしたところ、
市の作文コンクールで賞をもらいました。
今でも真っ先に思い出す祖母とのエピソードです。
祖母は、晩年、若くして亡くなった、旦那さん、
つまり私のおじいさんの話ばかりしてました。
昔の人なので、決して口には出さなかったのですが
きっと祖母は若くして旦那さんを亡くして
淋しかったのだと思います。
今頃、ようやくの再会が果たせて
きっと二人で喜んでいるはず。
ありきたりな言葉ですが
「おばあちゃん、今までありがとう!」
帰り路の関越自動車道には絶品の夕焼けが広がっていました。
生きているんだ、生きていくんだ |
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